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ミー--ン ミー-ン ミン ミ ミミーーン
ミン ミー-ン ミ ミ ミー-ン ミミ ミ ミ ミ
ミ ミ-ン ン ミン ミー--ン
「アレ?牛尾先輩まだ来てないんスか?」
蝉の鳴く真夏のグラウンドを放課後の部活のために訪れた僕は、何時もなら一番にユニフォームに着替え嬉々として
トンボ掛けをしている牛尾先輩が、まだ姿さえも現していない事に気がついた。
なんてめずらしい。
僕より先に来た猿野君も鳥居さんも2年の先輩達も、皆が皆、木々の木陰に入ってそれぞれ腰をおさめている。
妙に しん とした奇妙な雰囲気の中、不安になって僕はそわそわと司馬君と兎丸君の休んでいる木陰に身を移した。
「何かあったんすか?牛尾先輩がいないのも変なんですけど、すごく…その、雰囲気が」
「僕にもわからないけど、先輩達が、特に3年生の先輩がすごく静かで」
さっきお猿の兄ちゃんと犬の兄ちゃんも言い争いしてたんだけど、とてもそんな雰囲気じゃなくて。
司馬君も、いつもわずかに漏れる音楽をしまい込んでるようだった。
兎丸君との会話も誰かが聞き耳を立てているようで、気まずいような所rで会話は途切れる。
誰もが言葉を発するのをためらっているようで、いや、正確には3年が言葉を吐き出すのをやめているのだ。
それに2年が従い、1年が従っているにすぎない。
気が付けば全員で静かにグラウンドを見渡していた。
生暖かい風が首筋を伝わって、やけに遠くにいるようなサッカー部が体操を始め、そしてまた
やけに遠くで陸上部が白線を描き始める。
それがまた、やけにゆっくりと、見えたのだ。蜃気楼にゆれているオアシスのように。
僕も、ここに居る皆も。
「せ、先輩が来る前にトンボかけしましょうか」
なんとか地面に引き寄せられる腰を振りきるように僕は立ち上がる。
しかし、気持ち悪いぐらい誰も僕を見ようともしない。
……いや、1年生だけがこの状況を打破する手立てとして、こちらをすがるような目線を送っている。
それにのみ勇気づけられ、足は体育館倉庫に向おうと空をきる。
「やめとけ。牛尾に殺されるぞ」
「………一宮先輩」
ひときわ大きく夏の陽射しを完全に分断するその木は、抱え込むように一宮先輩や鹿目先輩、それから三像先輩など
3年の先輩を従えていた。
死魚のようなどんよりとしたぬめりのある瞳が、黒渕の眼鏡の中からでもとって見えた。
「殺されるって…ずいぶん大袈裟っすね」
振りかえって、それでもなお、遠くを見ている先輩は自嘲気味に笑った。
いや、僕を笑ったのか?
「あの金髪はだてじゃないよな」
「…なのだ」
鹿目先輩も同じような視線を僕に投げかけると、いつでも離さないマフラーを、真夏だというのにキッチリ捲き直した。
それから、たぶん牛尾は生活指導に先生に捉まっているからしばらく帰ってこないぜ。 と一宮先輩は言って
また口を縫いつけた。
ミー--ン ミンミンミンミン ミー-ン
さっきから鳴いている蝉が癇癪をおこしたように一斉に鳴き始めた。
うるさすぎる。
何かを隠蔽するにはもってこいの大合唱だ。
それでも、どうしてと口を開こうと、痛い視線が顔を直撃する。
3年の集まる大きな木の横に、小ぶりだが、二人で涼むには充分すぎる木で休んでいる虎鉄先輩。
だまれ。
バンダナから覗く目が侮蔑の意をもってこちらを見据えている。 怖い。
きっと猪里先輩が脇を突ついて虎鉄先輩の視線を反らしてくれなかったら、僕はずっとここに
立ちっぱなしだっただろう。
それでも、猪里先輩の視線も充分、暗い視線を僕に送っていたのですけど。
「そういえば」
そんな中で犬飼君は別段変わった事もないように喋りだした。
「なんで牛尾先輩、金髪なんですか?
先輩たちの言い方じゃ、ずいぶんと前からそうらしいですけど、そこまでして金髪にこだわる理由ってあるんですか?」
「…そうですよね、今日が頭髪検査の日だと知っていたら、スプレーで一時的に黒くする事だってあるでしょうに」
辰羅川君も犬飼君のそれに乗じて(多少引き気味ではあるが)疑問を口にだす事ができたようだ。
それに一端を見出したように、1年が我先にわぁわぁと騒ぎ始めた。
少しの間、蝉と同様、大合唱が野球部に沸き起こる。
しかしそれは蛇神先輩の起立によって一斉に鳴り止んだ。
その冷ややかな顔に浮かぶのは歪曲の味。
「…少し、気持ち悪い」
一瞬が皆が叱りを受けると思って身構えていたが、先輩はそう言っただけで一人、部室へと足早に去っていってしまった。
「蛇神逃げやがったな…」
その後ろ姿を見ながら、一宮先輩は妙な笑いを浮かべた。
苦渋でもない、しかし軽佻でもない、笑いを。
そして隣りの鹿目先輩と視線を交わした後、まだ黙っている1年に向って盛大な溜息をついて言ったんです。
「…いいか、ほんの、俺の知っているほんの、すこしの事実だけだぞ、何があってこうなったかは、
ホントのところは誰も知らねぇ。それに」
この木はあと30分もしたら影が移動して俺達のすずむ場所がなくなっちまうんでな。
と、まるで何年もの付き合いのように一宮先輩は言った。
夏の象徴の蝉だけが、いつまでたってもお喋りをやめないようだった。