君の為には死ねない。












今、この瞬間に、僕が無感動で刺し、目の前で色を失ったこの兵士も、隣で九郎と剣を交えている兵士も、
もしかしたらヒノエも、景時も、平家の人も源氏の人も、怨霊も、みんなみんな、
「この人の為なら、死んでもいい」と思える人がいるのだろうか。
その人のためなら自分の全てをささげてもいい、だなんて思っているのだろうか。


僕はふいに笑いたくなった。



バカバカしい。



「どうした弁慶?」



振り返った九郎が困ったような笑ったような、奇妙な顔で問いかけた。
もしかしたら自分は泣いているのかもしれない、と思うような、そんな酷い顔だった。













九郎はよく、その熱っぽい手で僕の手を握りながら、「俺はお前が好きだ」という。

僕は、それに答えて、「僕も好きですよ」という。

薬草を採取するのも好きだし京を散策するのも好きだし食事だって好きだし薙刀の手入れも好きだし夜空を見上げるのも好きだし鈴虫の捕まえて閉じ込めるのも好きだし湯浴みだって好きだし髪を梳くのも好きだし九郎だって好きだ。



でも、九郎は、僕が「好きだ」と言うと、とても満足そうに目を三日月のように細めて笑う。
「そうか」と、太陽の匂いがする笑顔で、僕を抱きしめる。
苦しい。
そんなちっぽけな約束事でもないような言葉で何が満たされるというのか。
アホだ。
馬鹿だ。
単純だ。











そして、




とても寂しく思う。










あれは、少し前のことだった。

九郎と二人で街に買出しにでかけて、その帰りにヒノエと望美さんを見かけた。
二人は仲良くちょっとした木陰でよりそって、世界中に二人っきりのような面持ちで
逢瀬を楽しんでいた。(と思う。)
僕も九郎も邪魔する気はなかったので、黙って通り過ぎようとした時、何の話の
途中かはしらなけれど、例のヒノエ節が耳に届いた。



「俺は、神子姫の為ならなんだって手に入れてあげる。世界を滅ぼしあげてもいい。
お望みなら、この命、神子姫の為に捧げたって構わない」



よくもまぁそんな尊大で適当な話をぽんぽん作り上げられるものだ、と思った。
ヒノエも望美さんも、まだ幼い。
だから、自分の目で見なくても、とてつもなく大きくて夢があるものが好きなのだ。
世界だなんて、きっと神様だってもうどうする事もできないものを、引き合いにだしたがるのだ。
僕はもう、目に見えるものだって、信用できることすら、危ういのに。



「命をかけるだなんて」



思いかけず力が入ってしまったのか、それともあまりの茶番加減に緩んだのかはわからないが、
僕の荷物から一つ、ふいに入れ物が落ちた。
九郎はそれをご丁寧にしゃがみこんで拾って・・・・・くれるのかと思ったら、
そのまましゃがみこみ、僕にそのつむじを向けたまま、うごかなくなった。



「・・・九郎?」



「・・・・・・・・・・・・・・・俺は」



「弁慶、俺は ・・・」



「はい、何でしょう、九郎」



落ち着いてくださいね、と僕はその場でまた荷物をこぼさないように気をつけながら
九郎の前にしゃがみこむと、臥せった九郎の顔が見える位置に首を傾げてみせた。


九郎の睫毛がわななく。



「俺だって弁慶の為なら、命をかけられるぞ」



何故か泣きそうな顔の九郎は、僕の落とした言葉まで拾ってくれたようだった。


嗚呼、と、僕は思った。


僕がせっかく落とさないように気をつけてしゃがんた荷物をぶちまけさせて
九郎は僕を抱きしめた。力いっぱい。精一杯。世界いっぱい。
いつものように太陽の香りが横溢して、僕はむせかえるような吐き気がして、眩暈がした。
命を賭す事が愛なのだと、それがこの世界の真実なら。
じわり、と肩口ににじむのは、九郎の涙なのか鼻水なのか、それとも、僕の失笑なのだろうか。


僕は、そっと九郎の背中に手を回した。


何故、九郎が泣きそうな顔だったのかもわからないし、きっとこれからもわからない。死ぬまでわからない。
死んでもわからない。
そして、九郎のその問いに、いつものすらすらと舌の上を踊りながら出てくる嘘の羅列に尽力させても、
「僕も九郎の為に死ねますよ」とは、答えてはあげられなかった。















昔、



い人だった。
あの人の為なら死んでもいいと思っていた。
あの人がこの先、僕の死を踏み台にして、笑って、楽しんで、幸せであればいいと、
その為なら、この僕の全ても、

















今 僕は死にたくない。














僕に問いかけて振り返った九郎の背後から、敵の鈍い殺意が迫った。
九郎は気づいていない。双眸は僕だけを捕らえている。
きっと今僕が身を挺して庇えば、九郎は助かるだろう。
僕の死を踏み台にして、笑って、楽しんで、幸せになれる。
愛も夢も明日も、全部、九郎にあげられたら。









僕は、











ドスッ              













そんな陳腐な弔い音とともに、人生を終えようとする体が目の前を横切る。
髪が風に揺れ、焦点が定まらない目がゆらゆらと泳ぎ、
人が死ぬのなんて幾度となく見ているはずなのに、今日は全てがやけにゆっくりと流れる。






「九郎・・・・・・・・・・・・・・・!」



僕は、急くように九郎に近寄り、その冷たい手をやんわり握った。
















「危なかったですね。怪我はありませんか?」

「・・・ああ、大丈夫だ。味方の援護がなかったら危なかったかもしれないがな」

「そうですか、よかった・・・・・・いえ、油断は禁物ですね。敵が敗走を始めているとはいえ、
 刺し違えるつもりで突っ込んでくる敵もいるのですから。」



ですから、  と、僕は眉根を寄せた。

飛び出さなかった時に感じた、あの背中を駆けずり回ってた、冷えた、何か。
今、この瞬間に心を支配する、暖かい、何か。

殊更に、ぎゅっと手を握られた事に意外性を感じたのか、九郎はその目をさらに大きくして
僕の光のない目を覗き込んだ。


(命を賭す事が愛なのだと、それがこの世界の真実なら。)


命をかけるとか、かけないとか。
全てをささげるとか、ささげないとか。



それに耐えられる偽証かどうかはわからない。でも、






「一緒に生きて帰りましょうね」





君の為に、死ねないけれど。
















僕は、九郎の為に生きたいと思っている。















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小さい頃、愛と死は同じものだと思っていました。
好きな人の為に死ねる事がこの世に示せる最大の証だと思っていました。
でも、それも違うのかもしれないと最近思いはじめました。


たぶんこの下手糞具合ではわからないと思うので捕捉。
これ九弁です・・・