●理由をください●



「ね、骸さん、俺のどこが好きれすか?」



崩れかけの窓から差し込む赤い空の逆光を背負いながら、難しい本を読む骸さんは
「A Medicine for Melancholy」 (もちろん読めない) とかかれた今にも崩れそうな装丁を乱暴に、かつ静かにとじると、



「犬の?」



と、少し悩むしぐさをみせて、癖のように右目を細めた。
右と左で違う色を従えたそれぞれが、違う方向や、違う未来や、違う人をみているようで、
触れるほどちかくにいるのにそこにはいないみたい。
きゅう と恐怖が心臓を掴んだ。なんでもいいからそこにいる証明がほしくなって、
俺は骸さんの青い目の方にざらりと舌を這わせた。
だめ。おれをみて、おれとのみらいをみて。他のだれとでも、だめれす。

ふ、と眼球に触れる前にやわらかい肉壁が降りて、その塩味をあじわうことはできなかった。
それでも、二、三度殊更にゆっくり舌を這わせると、やんわりと押し返され、
また、どこをみているかも知れない瞳で俺をみた。



「理由なんてないですよ」



そして、まるでそれが何かの儀式でもあるかのように、意識的に口の端をすこしつりあげてわらう。
ゆっくりおれの髪をなでながら。
手前から奥へと、ながれるようにすく手はひんやりとしていて、ほんとうはこの体はしんでいるんじゃないかと
時々心配になる。



「犬を好きなのは犬が好きであるからで、何処が好きとか嫌いとか具体的には答えられませんよ。
 僕は犬が逐一好きで、何故、どうして、何処が求めてやまないのかだなんて、わかりません。
 それに理由があるものなんてくだらないと思いませんか」



例えば、生まれた事に所以があるとか。



「生まれた事に理由は必要ないんれすか?」

「ないですよ。そこに理由を脚色するだけ堕落していくということです」



骸さんのいうことは難しくて、よくわからない。
ねぇ、わからないよ、骸さんに会えたことはただの脚色なの?
髪をなでていた手は、自然に眉が中心にあつまって談義していた俺の皺を
今度は笑いながらのばしてくれた。



「ね、犬も僕が好きなのに理由なんてないでしょう?」






おれはかなしくなった。

かなしくなって、なんとか答えを捻出しようとした口をあけはなしたままになった。


骸さん、俺のこと好きな理由なにかみつけて。なんでもいい。
あなたに好かれ続ける理由が欲しい。
顔でも体でも眼でも髪でも、頭の悪いところとかすぐ噛むくせだとか、ほんとう、どんな些細なことでもいい。
おねがいれす、だって、おれバカだから、骸さんがおれのどこがすきかわならないと、
俺、それ守り通せないから。
不安れす。
理由をください。



「骸さん、すき」



これは答えになったのだろうか。そんなことはもうどうでもよくて、どうにかして、この
体の中のわけのわからない炎の揺らめきを伝えることができたら、と
もういっかい俺は右目を舐めようと舌を伸ばした。
骸さんは、今度はそのまま赤い眼をひと舐めさせてくれると、
そのままおれの顎に、ちゅ、とわざと音をたてて吸い付いた。
試合開始のゴングだ。



「理由なんてないれす。全部好きだから。」

ボタンをはずされる感覚のなかで舐めてた赤い目は、夕焼けの味がした。










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メランコリーの妙薬:著・レイ・ブラッドベリ:
犬がどこまで漢字を使えるかわかりません
ちなみに眼球舐められると後からすごい痛いらしい