ゆき、ここから逃げよう。
ずっとずっと遠くへ逃げて、逃げて、二人で逃げて、お空の彼方へいってしまおう。
誰もみたことのない、雲のむこうとか、その向こうの、お月さまのむこうとかに逃げてしまおうよ。
そうしたらきっと、忘れちゃうから。
きみの心をを占めている事、全部忘れちゃうから。
真田のことなんて、忘れちゃうから。
















か。
























「ブン太!」



俺に掴まれたまま、幸村は白い寝間着のままで、緑の「金井総合病院」と金の印刷がしてあるスリッパをつっかけて
排気ガスで汚れた灰色の道路へ一歩踏み出した。

俺は振り返らない。





泣きそうに乱れる髪から広がる世界のなかで、一生懸命外を目指した。
君が泣いても右手は離さない。ごめん、幸、 でも許して。



俺は一等賞を叫ぶ様に左手を掲げてタクシーを呼び止めようとした。
でも、タクシーの群は、どうみてもおかしい、こんな冬に病院着1枚を羽織っただけの患者と
学校の制服を着ている、ただの俺達を認めてはくれなかった。
ただ、ビュン、ビュゥンと、
風のように通りすぎて行くだけだった。



「クソッ」



俺は誰も追ってはこない後方を振り向いた。
それでも、何かに、追われている気がするんだ。
何は何かも言えないような何かに、追われているんだ。おれたち。
振りかえった先の幸の顔は、不安そうに俺をただ見つめていた。
すでに幸の凍えている左手が、俺の心共々凍えさせていくように俺の指先を冷やしたけれど、
それに答えない俺のように、幸も何も言わなかった。


(言われても、きっと聞かないんだろうけど、)


ただ、何も言わなかったけど、幸が帰ろうよと思っているのは知っていた。
でも、言わないでいてくれているもの知っていた。


幸は優しいから。

俺には優しいから。


そんでもって、


雅治にも優しいし、
比呂士にも優しいし、
ジャッカルにも優しいし、
柳にも優しいし、
赤也にも優しいし、
真田にも優しいし、
誰にでも優しいから。
関わった全てに優しいから、
幸は、世界で一番優しいから、きっと、世界で一番、おれを傷つけるんだ。
優しく優しく、切れないナイフで上からギリギリつぶし切るんだ。俺という全てをギリギリ切るんだ。
幸の世界から、俺をギリギリ切り離すんだ。
だって俺は、いなくてもいいから。
幸村には、真田がいればいいから。



俺は、幸の目から自分の顔を隠すように前に向き直った。


俺はにげなきゃならないんだ。







何かから。







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「寒い?」




そのまま幸の手をとって、当ても無くさ迷った。
知らない交差点をくぐりぬけ、赤信号を渡り、公園で休むことなく、歩道橋を越えて、ついには、
さびれた遊園地についた。

そのころにはとうに日も沈んで、何時の間にか夜の女王がマントを広げていた。

息は白く、繋いだ手も相も変わらず冷たい。
繋いでいるのに、愛は伝わらないのかな。暖かい幸の愛は俺にはもらえないのかな。



「ねぇ、寒い?」



幸村は静かに首を振ったけど、右手が震えていていた。



遊園地はとてもちっぽけで、ジェットコースターなんて内容的にはディズニーみたいなちんけな感じで、
あとは小さいメリーゴーランドと、お子様向けのさほどめずらしくもない機械と
そして、たぶん、大きさから考えてこれが目玉だったのだろう、この遊園地には不釣合いな程の
とてもとても大きな観覧車があった。



この地上から離れるには適した乗り物だった。
アレなら地上からは見えやしないんだ。
俺達のこと、探せやしない。

俺は幸の手をひっぱって観覧車まで急いだ。




「おじさん、観覧車、二人」



二人分の800円を差し出しすと、目深に被った帽子を少し跳ね上げながら、
眉毛まで白髪染めしないといけないおじさんは、俺達のいきさつにはさほど興味も
なさそうにそれを受け取った。

ゴンドラが回る。

俺達以外には客がいないようで、だから俺は七色のゴンドラから赤を選んでドアを空けてもらった。
幸は少し乗るのにスリッパが邪魔で戸惑ったので、俺がひっぱってひきよせてあげた。



観覧車がゆっくりと空に浮き始める。



「おじさん、この観覧車はどこまでいく?」

雲まで?空まで?それとも、空の果てにある絶望まで?



戸を閉めながらおじさんは最後の客に静かに答えた。







「100M付近までかな」








俺たちは空に滑り込んだ。



*
*





夜の神奈川はとても綺麗で、てっぺんにのぼらなくても様々な電子の蛍達がたくさん街を灯していた。
街中の全てが、逃亡犯の俺を探してむせかえらせような光で探していた。
この世を昼間にしてでも探そうと必死に次々灯りをともしていた。
無駄だよ。
俺達はみつからないよ。
だって俺達は、おまえらを見下ろしているんだから。
そんな街を俺は窓から下の風景全てを見下だして、笑った。
人は黒い点で表示され、もぞもぞと緩慢に動き回る。



幸村。見てよ。

人がゴミのようだ。





どこかで聞いた事のあるセリフが頭で喚いた。

ゴミか。

本当、人がゴミのようだ。

何故か俺はそれにひどく感心した。
だから、俺の向い側で窓に片手を当てながら外を見ている幸に、教えてあげようと思った。
とてもすばらしい発見を、二人で喜ぼうと思って。
声をあげたんだ。



「みてごらん、ブン太」



しかし幸村は、すっかり俺の言葉を遮った。
幸は俺に見向きもせずに魅入られたように空を見上げていた。

そして俺に言った。















「月がこんなに近いよ」















その発見を、幸は俺と共有していると思っているみたいだった。
少し、右に傾げた首が、ブン太も空を見上げていたんだと、勘違いを頭に送っている。




ああ、



幸、


幸は、


 ・  ・ ・  ・  ・ ・  ・  ・ ・ ・  ・ 
 違 う 世 界 の 人 間 な の だ 。 








俺は、唐突に理解した。

訳も分からず、理解してしまった。






きっと、真田も、幸と同じ事を言う。

二人は、俺とは別の世界の人間なんだ。

月の光が届くような、穏やかな世界に住んでいるんだ。











「………ブン太?」




返事のない俺を心配したかのように、幸が視線を投げかけて、名前を呼んだ。




月の幸村と、ゴミの俺。





俺は、


この埋めようのない事実に、










少し泣いた。




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アレです。
またブン太を犠牲にしてます………すまん。許せブンブン。
あ、ちなみにMY設定でブンは幸村のこと「ゆき」ないし「幸」と呼んでます。
「ゆっきー」でも良かったんですが…文にするとシリアスには向かないので(笑)

ちなみに、別にブンが汚い子で幸村はキレイな子なのよ〜 って訳でなく、
幸村はちっと違う所で生きているっぽい感じ。ということで。
ホラ、あの二人は大正カポーですから!