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運命の糸だと言ったら君は笑うのでしょうか。





























何も、臆することはない、と、俺は震える右手をドアノブに押し付けた。



「幸村」



白い世界の中でそう名づけられたお前は、ただそこに決められたように、ずっと、 ある。
俺はシューズについた埃をここに持ちこまないように、几帳面に何回もかかとをならして、
それがまじないのように、銀の靴のかかとを鳴らすような気持ちで、そこに滑り込んだ。

それに呼応して、手にもっていた本を側の棚に置くと、お前は俺の名前を呼ぶ。



「いらっしゃい、仁王」



そうして、ベットの脇に少しずれる。

俺はそれが俺のために用意された場所だと、密かな幸福感に酔い、そして、
それが一番不幸なことなのだと知りながら、そこに座る。

少し、暖かい。



「真田は、今日は監督との打ち合わせがあるんじゃと」

「………そう」



何でもないように左の髪をかきあげて、耳にながし、幸村はひととき瞼を閉じた。
その一瞬で何回の失望がお前の瞼の裏で旋回したのだろうか。
何回の落胆を飲み込んで、沈めて、 そして、   そして俺はそんなお前を見て笑う。




なんて、

幸せだと、思う。




俺は足を組替えた。



「このあいだ赤也も青学の1年に負けたじゃろ?
 そのこともあって、色々とたてこんでるみたいじゃった」

「そうなんだ」

「それに、青学との対戦ももう間近だしな」

「…はやいなぁ、関東大会ももう終わりなんだね」



ずいぶんとのんびりした様子で幸村は苦笑した。

続いて俺も笑う。

(これは、お前のこと 「なんてバカなんだ」 という意味で。)



「あのさ」



カーテンがひらひらと夏の熱風を連れてきて、それに倒されたようにお前は俺の肩を頼る。 

適度な重さ。 

このまま窓から飛び降りてしまいそうな、適度な重さ。



「………」



幸村はしかし、何も続けなかった。
そのまま、わずかに瞼を震わせただけだ。
誰かを思いながら。
(誰かを想像するまでもないが)

そして、俺はその下手でわかりやすい幸村の裏側を、見て見ぬフリをした。
何も、知らないふりをすればいい。
それだけで、騙せるんだ。


お前も、 アイツも。

俺は、なんて純粋な馬鹿なんだろうと、黒い帽子とお前を愛しく思う。




「…言ってみんしゃい?」



窓を風が撫でる。



「……・少し、」



「うん?」



「このままでいいか」



夏の風がお前の哀しみを乾かすまで?
それとも、落胆を攫って捨ててくれるまで?

幸村は、俺の返事を待たずに眼を閉じた。
それに俺はただ黙って、そして確実に、声をださないように注意深く笑って応えた。
とても深い笑いだ。










「今日は幸村に、一人で来て欲しいっ て言われてるんじゃ」















それだけだ。



それだけで、真田は追い払えた。



真田は、幸村を気づかって、何も聞かない。
幸村も真田に気をつかって、何も言わない。
そうして、どんどん離れていけばいいんだ。
詐欺師にひっかかって、糸が切れるぐらいに離れてしまえばいい。




そうして、





「…………仁王、」



すい、と、幸村が肩に重さを預けたまま俺の後ろ髪に手を伸ばした。



「ゴム、ほどけてるよ」



幸村の指が軽く髪をすいて、ひっかけて、俺の赤いヒモを解いた。
それはするするとほどけて、まるで幸村のもののようにしんなりと、おとなしく手に収まる。



「………あれ、ゴムじゃないの?なんだろ……皮紐?」



まじまじとそれを観察しようと、幸村は端をつかんで眼の前にぶらさげた。
とても長いその紐はゆらゆらと揺れて、ぶるぶると震えた。
ゴムでもないし、皮でもない。
もしかしたら、この世には存在しないものなのかもしれないし、存在するものかもしれない。

俺は立ちあがる。
そして、密かに 慌てずに 確実に その紐を取り戻した。



「さぁて……当ててみんしゃい」

「えぇ? なんだい、そんなに秘密にすることなのかい?」



困ったような、でも、楽しんでいる顔で幸村は笑った。
そして解けた紐を結びなおす俺を待って、足元にあったバックを優しく俺に手渡す。
その行為に、まるで真田と幸村の仲みたいだ  と、俺は一人で密かに祝った。



「じゃあ、また……今度。」



ドアに手をかけた俺の背中に、一瞬言いよどんだ言葉、
それゆえに変なところから声がでた幸村に、なんて愛しいんだろう と、
俺は無償に悲しくなった。



「明日も会いにくるよ」



それが一番幸村の望んでいる事ならば。
退屈でたまらないこの生活で唯一の楽しみは、俺達、(いやここはあえて否定したほうが
いいのだろうか、俺達ではない と) そして、真田がここにくることなのだから。



「仁王、明日は…………



 ……あ、いや、なんでもない」



「……」


「さ、はやく帰らないと怒られちゃうよ」



何かを隠すように、春風のように急いて幸村は俺をドアへとおいやった。
ふんわりと香る後悔。
優しい香りだ。

こういう時、俺は思う。
本当に馬鹿な話だが、どうして正反対の俺とお前なのに、引き合わないのかと、
どうしてかと、何故なのかと、そう、思うのだ。





そして俺は病室の硬派な白いドアに手をついて、嘘をついた。




「真田、来れるといいな」






紐は、ちゃんとくくりつけておけただろうか。






「…………あは、」



逃げられないように、ちゃんとここにあるのだろうか。



幸村は、否定もせず不確かに笑った。
本当は俺ではなくて、真田がくればいいと思ったことを否定せずに。




俺は後ろ髪に触れた。

大丈夫。
ちゃんとしっかりとまきつけてある。
だから、
明日も真田はここにはこない。





俺は少し安心して、それからゆっくりと、その幸村のいうところの「赤い紐」とやらを指差した。
教えてあげてもいい。



「幸村、これな、  糸。」



「……糸?」



怪訝そうな幸村に俺はめいっぱい笑みをしたためた。



「じゃ、また明日」







ひきとめたりはしない幸村にさようならをして
ドアを閉めた。
ガチリ と放つ重たい音は、たぶん俺にはまたこの世界を開くのに臆しなければ
ならないのだと俺に知らせる。

間違えたことをしているだとか、後悔とか、そういうつまらないことじゃない。
すべてが、全部が俺の思ったとおりになってしまう事への焦燥。
もしかしたら、どこかで狂いが生じてしまえばいいとか、
そんなことさえ思ってしまうほどのスマートな展開。

どうして、何も疑ってくれないんだろう。

斜陽の微笑みで信じてくれるのだろうか。



また不安になって、
所在を確かめるように俺は再度後ろ髪に手をまわした。
緩い感触。
またほどけかけている。
元の場所にかえろうと一生懸命なんだ。

幸村のもとに。

真田のもとに。










白く汚れた病院の床を踏みつけながら、俺は考える。








君は、



笑うのでしょうか。



「これが、」








それを愛しく撫でる俺の手は、優しくつまびくようにもてあぞぶ。







これが、運命の糸だといったら、君は笑うのでしょうか。








お前と真田の運命の糸を、俺がぷっつり切ってここにまいてると言ったら、

それでも、

素敵な笑顔で笑うのでしょうか。



























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仁王は来て3分で帰ったっていう話(笑)