7/7の七夕といえば、織姫と彦星が年に一度出会える日。
ロマンティックだけど、でも可哀相と言えば可哀相。
でも、ごめんね、織姫と彦星。
今日は日曜日って事もあって、日本中のカップルがお祭りやら花火やらで盛り上がるの。
毎日逢っているのにね。
そして、私も今日は彼氏の山田君と地元のお祭りで花火を見つつ、デートなんだ。
ごめんね。









○Oo。.3秒後の世界. 。oO○








朝。







伸びを一つ、する。

起きっぱで意味もなく唐突にカーテンを開けると、朝日が天を照らしだしていた。
綺麗……
雲の上から膨大な光が降り注いで何か神々しい感じさえ感じる。
ベランダに出て、(洗濯物を干すぐらいにしか使わない狭いベランダではあるけど)
手すりに寄りかかって、少しの間空に釘付けになった。



………よし、今、決めた。朝にの空を見たら良いいことが起こる、って事にしよう。
勝手にジンクスを作りあげてみて、それから自分の顔が密に笑っている事を
否定はしなかった。
何せ、今日は初デートなんだから。
クラスの山田君と、5時待ち合わせで地元のお祭りにいくんだ。

新鮮な冷えた空気を纏って部屋に戻り、タンスの上5番目の棚をそっと引出す。
防虫剤の匂いが鼻腔をくすぐったけど、でもそれ以上に期待の香りがした。
紺の浴衣。大柄の向日葵が華を添え、赤い帯が更に花をそえる。
お母さんと高島屋に行った時に買ったもので、かんざしも巾着も一式揃えた。
…ああ、どうしよう。
浴衣を見るだけでドキドキしてくる。こんなにも綺麗な空に早くさようならを
言いたい。
はやる気持ちを仕舞うように引出しを急いで閉め、なるべくタンスを視界から外し
ながら部屋を出た。



廊下を出ると、隣の部屋のドアは珍しく固く口を閉ざしていた。
いつもなら信じられない早さで家を出る兄なのだが、今日は久し振りの休みらしく
沢山沢山寝ていたいらしい。
でも、お祭り好きな兄の事だ。きっと夕方には起きてくるのだろう。
そうしたら、去年輪投げで取りそこねたイルカの置物の代わりに、赤い金魚を
獲ってもらおう。
そう思い静かに階段を降りて、いつもの日曜日にしては早過ぎる朝食を取りに
行った。








4時10分。







「お母さん、帯、帯!」

「はいはい、ちょっと待ってて」


はやる気持ちを抑えて、なんとかダラダラと時間を潰した。
目的のない生を生きると言う事は、永遠のような時の流れが渦を巻いているらしい。
おかげで何回、シャワーを浴びたりしたのか。
何回録画したビューテフル・ライフ最終回を見たのか。
でも、
でも今は


「おかーーーーさーーーーーーーん!!!!

「ハイハイ、今行くから」


時間の流れがビデオの早送りで流れていく。
お母さんは今行く今行くと、嘯きながら玄関先で隣のおばさんと今日のお祭りで
どちらの家がテーブルを持っていくか、などと相談している。



「母さん!」
「それじゃあ、ウチがオカズを持っていくわね
「おーかーさん!!」
「ちょっと待ちなさい、ええ、それで若菜さん家がから揚げとサヤエンドウを…」



あーーーっ!!待ちきれない!
浴衣の前をかき合わせて玄関先に飛出す。



「母さん!!」



玄関から少し蒸し暑い風が吹きつける。
足元の浴衣をもっとしっかり纏いつけて、どかどか歩く。
いいよね、今は山田君いないし。



「あらちゃん、今日は綺麗に着飾ってデートでもするの?」

「おばさんこんにちわ。……まぁそんなところです

、待ってなさいっていってたでしょ!」

お母さんがしかめっ面をしする。女の子なのに、って。



でも、それは母さんが悪いんじゃないの。



「ウチの結人もねー、今日出かけるのよ」

「そうなんですか?え、彼女?」

「一子ちゃんと、英子ちゃん」

「………また新しい子?」

「真田君と郭君よ」



ふふ、とおばちゃんは笑った。
そうか、また若菜さんの家の子はサッカーか。隣の中学2年生の息子さんは
サッカープロ予備軍みたいな所にいるらしい。うちの母さんはおばさんと仲が
いいのでよく話を聞く。サナダ君とカク君は仲のいい友達らしい。良くしらないけど。


 
「こら、。いいかげんみっともない格好するのよしなさい!」

「じゃあ母さんはやく、はやく締めてよ。帯」

「ハイハイ、わかったから…」


 
また、誤魔化されるのかと思ったら、今度は本当におばさんとサヨナラして
帯を締めてくれた。赤い帯がキュッと閉まり、同時に背筋と心が引き締まる。
ああ、またドキドキしてきた。初めてのデート。
綿飴を食べて、金魚を掬って。花火を見て。
こんなにいっぱいの心は、頬に乗せたピンクのチークよりも、きっと、桃色だ。
口のつやつやのグロスより光を反射して綺麗に輝いている。


 
「じゃあ、いってきます!」


 
鏡で、アップにした時にでは後れ毛をアメピンで固定してあるのを入念にチェック
して、それから巾着に財布と鏡とハンカチをほおりみ、私は家を掛けて出た。
なれない下駄は鼻緒が少し指の間が擦れる。しかしそれも、おかまいなしに。



「12時には帰ってきなさいよ!」

「わかってるって!」



15分程歩いて、近くにある大きい広場に辿り着く。
野球でもできそうなほどの大きな広場の中は、普段は犬の散歩のおばちゃんや
追いかけっこをする小さい子しか見かけない。
しかし、今日はすでにお祭りの櫓が建てられていて、てっぺんには太鼓が
用意されている。盆踊りの時に町内会で決めた人が叩くのだろう。
去年、友達と聞いた太鼓の音は今日は違って聞こえるのだろうか……なんてね。
あれだ、大切な人と見る景色は違ってみえるのかな〜、ってバカみたいな発想。
恋しちゃってます!みたいな感じで、自分が無償におかしい。
私ってこんな酔っちゃうタイプだっけ?
笑いを殺そうとして、殺しきれずにいる。たぶん今最高に幸せで変な顔をしている。


待ち合わせの広場のベンチに行くと、まだ山田君はいなかった。
広場に大きく佇む銀の時計は8を指している。約束の5時まで、まだ20分。
あ、コレ、私のクセね。待ち合わせも時間より早く着きすぎるの。
でも誰かを待たすよりは全然いいと思う。まぁ、私が暇なんだけど。
丁度べンチの横に出店を出していたテキ屋で100円のラムネを買って、
それを飲みながら待つ事にした。
慎重に帯が瞑れないように座って、ラムネの蓋を開ける。
一瞬零れそうになる泡を急いで口で吸いとって、二口飲んでから
手元に落ちつかせた。


ぱちぱちと舌で踊る気体は、爽やかに弾ける炭酸は、



 
夏を象徴していた。












5時46分










「テツー、次はアレとって、アレ!あのイルカの置物!」



イルカの置物なんて今どき流行ったりはしないわよ。
だから、だから、     …外れてしまえ。




「キャーー!!すごい!テツって、テツってなんでもできるのね!
格好いい!」

「輪投げは得意なんだーじゃあ、次は…」



別に欲しくなかったわよ。そんなもの。
いいもん、私だって山田君に色々獲ってもらうから。綿飴だって食べるんだから。

少し夕暮れかかった空が人々の波を歓迎し、建物を黒く変色させて
人々を鮮やかに映し出す。
しだいに祭じみて来た広場は笑い声で満たされているようだった。
多くの人の中で感じる孤独は胸に痛い。
あーあ。遅いよ。山田くん。
巾着の中にケータイを入れてこなかった事に激しく後悔した。
…連絡できないから確かめようにも確かめられないし。
だから待つしかないよね。
だって、もし私がここを離れた瞬間に山田くんが来ちゃったらどうするのよ。
ホント、マヌケだから。あと、…あと1時間待とう。
あと1時間たって来なかったら私、帰ろう。
帰って…帰って……怒りの電話しよう。待ってたんだ、って。寂しかったんだよ、って。


なんだか手持ちぶたさで、空になったラムネの瓶を手で捏ね繰り回す。
ビー玉がカラカラと音を立てる。
その音を聞いたらまたラムネが飲みたくなった。



「…あーあ。これじゃ私、ただのラムネ好きみたいじゃん」



本日、5本目のラムネを買うことにする。



「すいません」



ベンチに座ったまま声を掛ける。
2本目の時からこうして声を掛けている。なるべく離れたくないんだ。
すると、店員がこちらを見やる。



「ラムネ、1本ください」



店員は、無言で冷えた水からラムネを取り出しす。
それにあわせて100円を差し出すと、これまた無言で店員は受け取った。



「……一人なのか?」

「へっ?」



裏声が喉を突いた。



「一人なのか、と聞いている」
「え、ええ…………今の所は」
「そうか」



なんなんだろう、この人は。
ぼへーっと、見つめてしまった。
はねっかえりの後ろ髪、しかも今時では珍しい真黒の髪に横の髪が一筋だけ
長い不思議な髪型だ。
黒い半袖服の腕をたくし上げ、筋肉のついている二の腕を露わにして
差し出されている左手に数珠をはめている。
おまけに、なんで眼を瞑ってるのかしら。
………ヘンなひと………



「あの」

「…」

「…暇ですか?」



あーあー。声かけちゃった。
ほら、この人吃驚してるわ。でも、暇なんだからしょうがない。



「い、いえ、別に…深い意味はないんですけど」

「…」



店員は黙って、私の横に座った。視線は遠い。



「ずっと」

「…」

「ずっと気になっていたのだが」



う、うわ、こっち向いた。



「ラムネが好きなのか?」



私は開けかけのラムネを手に苦笑を抑えるしかなかった。
彼は、不思議そうに私を見やる。
根拠はなんにもないけれど、全然ないけど、いい人の気がする。
なんだか柔らかな気分になった。ラムネの蓋を開けて私は答える。



「…彼を待ってるんです」

「それにしては随分とここにいるようだが」

「でも、約束したし」



ぐびっと炭酸を流し込むと、喉がチリチリして、こめかみのあたりが痛くなった。
それよりも痛い所は、とりあえず抑え込んで。



「…約束したんです」

「そうか」

「…そうです」



自分に一番そう吹き込んだのだけれど。強く言いすぎたかと、
ちら と横目で彼を見ると相変わらずどこか黙って遠くを見ている。
気にしてない、か。
私はまた一気にラムネを流し込んでキンキンという痛みで顔と頭をいっぱいにした。
そして、


「あの」












「ラムネもう1本。












6時51分





夕陽は、はじめに眼にしみた。
染みていった夕陽はどんどんどんどん下降して、私の影を好きなだけ濃くした。

ラムネ屋さんは、お客が来ていないときは黙ってベンチに座って
私の話を聞いてくれたり、ラムネをタダでくれたりした。
(一日限定のアルバイトなのに勝手に、だ!)
彼は自分の事は一切喋らなかったし、私も聞かなかった。
私は自分の事は一切喋らなかったし、彼も聞かなかった。
そんな気軽な感じがよかった。




目の前で少し早いが盆踊りの始まりを継げるアナウンスが響いた。
綿飴やあんず飴、フランクフルト。
個々の手にもった食べ物を母親や父親に渡し、小さな子供と女の人が
櫓を中心に円を描く。陽気な音楽が耳を犀なんだ。


♪そよろそよ風 牧場に町に 吹けばちらちら灯がともる♪

「踊らないのか?」

「うん。だって、今彼が来たら私の事見つけられないと思うし」

「ずっと座っていては浴衣の意味がないと思うが」


赤くほんのり 灯がともる ほら灯がともる♪


まぁ、確かに、浴衣を着ている意味がないといっては、ない。
帯も、もう長いこと寄りかかっている所為でぺちゃんこになっているかもしれない。
すごく母さんに悪い気がした。ごめんね、母さん。



「じゃあ、ここで踊ればいい」

「え?」


♪チャンコチャンコチャンコ チャチャンがチャン♪


ベンチから立ち上がると、彼は私の手をとった。
山田君以外に手を触れられるのは初めてかも、しれない。
変に緊張した。…手に、汗をかきそう。



「あ、え、ちょっと!」

「せっかく来ているのだったら踊るのが筋だろう」

♪手拍子揃えてチャチャンがチャン♪


一番が終わると同時に、広場の灯りが一斉に点灯した。
密かな歓声があがり更にお祭りモードが高まる。
ああ、何時間座っていたのか、足がだるい。酷くだるい。
鼻緒が指に食い込んでい所為か。痺れたの所為なのか。ただ単に、
彼と踊るのに緊張してわなないているからか。

笛も流れる 太鼓も響く

対面する彼が1歩踏み出し、そして私は1歩下がる。
手はお決まりの盆踊りのポーズだ。頭の上に掲げて月を見る。まんまるい。
それに今まで座っていたから気づかなかったが、彼は随分と背の高い人のようだ。
私の頭なんて、胸あたりにしか届かない。

風が流れる なか空に

出店を構えている人達も全ての注目が櫓に集まっている。
そんな中で、私達二人はベンチの前で殆ど動かず、足はその場で動かす程度で。
ダンスのような。ゆったりとしたダンスのような踊りだった。
二人を見ているのは誰もいない。

手拍子そろえて ほら回れ

歌詞の通り、彼は昔から見知ったダンスパートナーのように
優しく手を取ってクルリと一回転させてくれる。

ほら回れ!

今も。

チャンコチャンコチャンコ チャチャンがチャン♪
♪手拍子そろえてチャチャンがチャン♪

手を叩いて。顔を上げると彼は笑っていた。
……ううん、違う、私が先に笑っていたの。私が。笑っていたの。

月は今夜もまんまる笑顔

「笑顔だな」
「今日の中で、一番、楽しいの!」
「楽しいか」
「うん、楽しい!」
「…そうか」

あなたも笑顔よ。

「…    我も」

風はそよ風 頬なでる



「楽しい」


「……そう!」


そろい手振りも ほら かろやかに

自然に手が触れて、そのまま私達は手を握った。

チャンコチャンコチャンコ チャチャンがチャン
手拍子そろえてチャチャンがチャン!

空いている方の手で互いの手を叩きあった。
チャチャンがチャン!
叩いた震動で、鼓動もチャチャンがチャン!
早鐘を打った。
繋いだ手から伝わらないように、もっとギュッと握った。











「あ」


忘れ掛けていた事実が蘇った。

遅い。遅いよ。

急に動かなくなった私の視線を彼が追って、振りかえる。


「山田くん」

「…まだ居たのか、

「誰ェ?この人」

間の抜けた声。
あんたこそ、誰よ。
何腕絡めてるのさ。何、金魚もって、綿飴食べてるの。














揃た 揃たよ どの子も揃た






8時14分




「…っていうか、普通こんな時間まで待ってるか?」



ボリボリと頭を掻く。
…何よ。待っててあげたのに、約束したから、待ってたのに。



「…誰?その子は」

「あ、コイツ?」



山田くんと目を通わせたコイツ≠ヘ、相も変わらず綿飴をほお張りながら
小首を傾げ、きょろん、と私の方を向いて、元気いっぱいに言ってくれた。



「カノジョでーす!」



あ、そう。



「まぁ、そういう事だから。勘弁」

「何が、そういう事よ!私と付き合ってるんじゃなかったの!?
だって、この間、この間…!」



ゼリーが詰った喉を言葉が走りぬけたので、少し苦しかった。



「ああ、今日のはさ、賭けだったんだ。お前が何時間待つかっ、て。」

「…賭け」

「そう、賭け」



今度こそ、本当に足が疲れた。
私は気づかないで一人で舞い上がってただけか。
初めての、デートだったのに。
無意識的に下唇を噛んだ。哀しいわけじゃない。悔しい。
私は悲しくないかったけど、お母さんとお兄ちゃんに謝りたくなった。
ごめんなさい。ごめんなさい、私、こんな馬鹿で。
黙りこくった私に、山田は溜息をつきながらニヤニヤした顔を向けた。



「ま、いーじゃん。そっちだってその男とお楽しみだったんだろ?」



まだ繋いでいた手に視線が移った。

私、そんなつもりで手を繋いだんじゃない
そんな、汚い理由で声を掛けたわけじゃい

口に乗せた端々から声が消失して音にならなかった。
だから代わりに、奴を待っていた時に飲んでいたラムネに入っていた
ビーダマを思いっきり投げつけてや



ボグッ



「行くぞ」



「え、あの」

「もう、今日中は目を覚まさない」

「そうでなくて、何で」

「言わせたいか?」

「え?」



女の悲鳴を背景に、手を引かれてその場を走り去った。
握った手は、とおの昔に汗ばんでいた。








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真っ暗な道路を走って。広場の灯りも届かないような、満月の灯りしか届かないような
ここが何処だか知らないような、そんな場所に、辿り着いた。
走りすぎて、胸が烈しく上下した。
ああ、でも、違う意味で、そうなのかもしれない。

大きく呼吸を繰り返す私と違って、彼は平然と立っていた。
平然として、でも、どこかで怒っているような。



「あの、さっきはありがとう。……すっきりした」

「いや、よい」



どこかで川が流れているのか、さらさら音がした。



「もう、なんか恥かしい所見せちゃったね。ごめん。こんなことまで逃げさせ
 ちゃって…」

「かまわん。…元はといえば先方が一方的に悪い」

「…ありがとう。…手、大丈夫?」



山田を殴った方の手が心配だった。
二の腕の筋肉や、こんなに走っても平然としている彼は、きっとなにかしら
スポーツをしているに違いないと思って。
すると彼は大丈夫だ、と言うように、手を握ったり開いたりした。
よかった…



「そ、そういえば今日は七夕だね」

「…そうだな」



さらさらと川の音がする。やっぱり、川が近いみたい。
少し脇を覗いてみると川が近くに流れていた。たくさんの笹の葉に短冊が結びつけて
いて、夜を彩っている。
二人でそこまで行くと、何も書いて無い短冊がいくつか落ちていた。
子供が作ったのだろう。少々乱雑な作りだった。



「せっかくだから、お願い事書いておこっかな」



七夕だしね。
側に一緒に落ちていたエンピツを拾って、短冊にエンピツを走らせようと
膝に短冊を当てる。











「書かなくても、よい」

「え?」