まぁ、時間がもどったらってなんかいも思ったことはあるよ。


そしたら、あの時おとした500円玉とか、置き忘れたお気に入りの傘とか
録画し忘れてたウォーターボーイズとか、それとかあの時教室に忘れてきた千石清純とか
カーテンと一緒にたたんで置いてきた南くんへの、















時間よ、お戻りなさい。もう一回お戻り。







「南くん」






南くんがフラれることはよくあることでした。
あの日も私にフラれたばかりでした。
あの時の私は、目も眩むような青春時代を送っていて、
たとえば、今の私みたいに、中学の制服を無印のねりあめを舐める前
の唾が出てくる感じにあまり似ていなくもない感情でながめたり、日曜
日と土曜日はムカツク客の接客をしなくてはいけなかったり、あの時は
遠かった将来の自分というのが来年に迫っていたり、金はあるけれど
時間がなくなっていたり、恋というものが単なるつまらんゲームだと知っ
てしまっていたり、結婚がさして楽しくもないことを想像していたり、若さ
というものを理解していたり、いろんなことを知ってそれはそれは賢くなっ
た私ではなくて、まだ、世界は「100点のとれる頭がいい人」と「赤点しか
とれないバカ」の2種で構成されていると思っていた。








昔は土曜と日曜が休日であって、
ウェディングドレスと誓いのキスの先のことは何も知らなくて、
皆の人気者ですごく格好良くて、明るくておもしろくてテニスも強くて
そんな千石くんの方が全然好きだった。




私はうたた寝をした。(と思う。こんな大事な時に)

すると世界は瞬く間に足元から変っていった。
セーラームーンの変身のように、1年の1を無理矢理3と描きなおした上履き、ま白い靴下、
2段折りをした座りクセ付きのプリーツスカート、薄くてブラが透けていたブラウス、誰かと
違う結び方を発明したくて何度も見なおした赤いリボン、そして、あのときはまだ黒かった髪の毛。


私は山吹中の3-2組の教室に座っていた。


昔の夢の中だと知っていたから、続きを私は知っていた。
でも、この私はいつの私なのだろうか。
夏服だから6・7月なのだろう。
千石くんに夢中だった7月なのだろうか。それとも友達とケンカした6月なのだろうか。
それとも、



「南くん」



私は勝手に喋っていた。



実は目の前に立っていたりした南くんは、少し緊張気味でビクリとふるえた。

(中学生って若い)

私は南くんを見るのがこころぐるしくて、後ろに広がっていた窓から見える飛行機雲を
意味もなく追っていた気がする。



「・・・・俺」



俯いた南くんの目はしけってるみたいだった。
私は遠慮がちに近寄って、それから固めの髪の毛に手を置いた。



「・・・・・・」



南くんは黙って泣いた。



(よかった)
(あの日じゃない)



あの日とは南くんをフッた日のことです。
私は当時、千石くんに夢中でしたから。



外のコートでポーン、ポーーン、とテニスボールを打つ音が激しく聞こえ、
グラウンドで部活をする人達のざわめきがどんどん大きくなって、私は切なくなりました。
羨ましい。と、無償に憎くもなりました。
私は無意識的に、南くんを抱き寄せました。
それは、私も切なくなって、(この夢でただ一人の大人なのが切なくて) そういう訳で
南くんを利用しようとして抱き寄せたのですけれど、(当時は何で抱き寄せたのでしょうか)
それから南くんは一気にしゃくりが酷くなり、まもなくブラウスの右肩になんだか熱い水が落ちて
来ました。吐息もかかりました。
そして私はこの次の展開を知りえていたので、懐かしいと同時に、あの時のようにドキドキと
してきました。期待のドキドキです。



「俺・・・・フラれちゃったよ・・・」



私は、昨日読んだ台本を一生懸命思い出す様に、何年も前の自分のセリフを間違えない様に
何回も何回も頭で連呼しながら、ゆっくりと告げました。



「南くんをフルなんて、その女、見る眼ないよ」



でも隣のクラスのナントカって子には、今まさに感謝しなくてはならないのかもしれない。
南くんをふってくれて、ありがとう、と。
(あの時は純粋にそう思っていたのだけれど)



「清純なんて、どこがいいんだか、わからないし」



すると、南くんはあの時と同じように、私から少し離れて困った顔をした。
目線を床下に落としたまま。



「・・・なんだよ、千石と付き合ってるクセに」



まだ、涙はとまらない。



「そうだね・・・・・」



「俺のこと、千石が好きだからって、フッたくせに」


キーンコーンカーンコーン





なんの合図のチャイムなのだろうか。私は頭をよじった。
中学時代の時間割は高校の時間割で上書きされているから、いったいこれが何のチャイムだったのかは
思い出す事はできなかった。
ともかく、なにかのチャイムが鳴って、それは第2ラウンドの始まりを鳴らすゴング変わりだったのだと、
脳みその上隅に走り書きされてるようだったのを思い出したことには、変りはなかった。







一歩半、南くんは離れていた。

私は何かしらの恣意があって、この時窓の外を見て、誰かを確認しようとしたのだった。
それが誰であったかは、忘れた。
ともかく、私はちょっとおおげさな態度で外をみやってから、改めて南くんの方に向かった。



「そうだった、ね」



ああ。
そうだここ、ここは私がもっと気の聞いたセリフを言おうと、もう一度この時に戻ったら
そう言おうと思っていたのに、嫌だ、忘れていた。
間抜けなセリフだった。私は反省した。



「皆、千石の方がいいに決まってるよな。千石は俺からみても、格好良いし、 テニスも
強いし、    …明るくて、人気者で、なんだってできて」



ほら、南くんが自虐的解説を始めた。だから、いわなきゃよかった、と、思ったのよ。あの時。
でも、



私は千石くんを思い出した。
あの頃、学校という一つの世界の中で、山吹中という世界の中で、誰よりも強くて誰よりも
格好良かった世界の王様は、千石清純だった。
先生よりも強くて、自由で、千石くんが三階から飛び降りろといえば喜んで飛び降りた女の子は
沢山いるだろう。(私を含め)



「俺は、  だけど、何もできない」



そう言って、もういっかい息を詰めた南くんを、静かに見下ろした。
私も、初めはそうだった。
南くんに告白された時は南くんの事全然知らなくて、千石くんに夢中で、
でも王様と付き合うようになってから南くんが千石くんの大の友達だと知って、
それから初めはぎこちなかったけど(向こうが)、そのうちに3人で仲良しになれた。
一緒に帰ったり、アイス食べたり、怒られたり、授業サボったり、
まるで、私達は3人で付き合ってるみたいだった。(と、私は思う)

と、いうのは、そのうちに、私は南くんも好きになったからだ。

浮気というのか二又というのか世間ではそう言われて悪いことだと言われているけど、
でも、自分ではそんなつもりはなかった。だって、二人とも好きなんだから。
今でも思う。あれはそんなに悪いことではなかったはずだ。



「そんなことないよ。南くんは、清純なんかより、何だってできる」



当時の私は何の考えもなしに、そう喋った(と、思うのだろうけど、違ったかしら)



「・・・・・・できないよ」



そう悲しそうに呟いた南くんのブラウスが、夏風に吹かれてしんなりと揺れた。
蜃気楼の揺らめきのように、自分の存在を偽るように。



「できるよ」

「・・・・できないんだ」

「できるって」

「できない」

「南くんはできるよ」

「だから、」

「できる」

「…いいよ、無理になぐさめてくれなくても」

「できるよ」



南くんは、私の主張を追従だと思ったらしい。



「例えば?」



ほら、そうやってつまらなそうに笑う。
私はこれからのことを思い出して緊張して上唇をなめた。



「例えば、いま、」



南くんの飛行機雲は相変わらず流れていって、相変わらず南くんは泣いていて(それでも少しは
収まったのだろうけど)だから、私はあの時と同じで、計算して卑怯な言葉を言う事を決めていた。
私は昔と違って賢くなったから、テストで100点とれなくても人生おいしく生きれることを知っていた。













「今、ここには私達しかいないよ」












南くんが、まだ私の事好きなのも知っていたから。
本当はあの子に告白したのも私達に言われてだったからで、
泣いていた理由も、
あの子にフラれたからじゃなかったのも、

今の私、知ってるから。




タ  タ 




当時は、キャンパスリップが大流行して、私はレモンの香をとても愛用していたから、
たぶん窓に押しつけられながらの南くんとの初キスは、レモンの味だったんじゃないだろうか。

1回離れた唇がもう一度出遭う前に、薄く開けた目の前で南くんがカーテンを引くのが見えた。

ああ、そうだ。

ここはテニスコートから、とてもよく見える。

清純が、と言いかけたところでもう一回キスされた。

中学生のキスだった。

掴まれた右手首の脈がいつもの何倍もの血を運んでいて、それを掴んでいる南の手は汗ばんで
熱くて、でも絶対に離さなくて、このまま南が私の脈を握りつぶしたら私はここで死んでしまうと思った。
私の生死は、今や南くんの文字通り手の中なのだ。







足音が近い。



「俺」



二度とないだろう南くんの睫毛が触れ合う位置で、南くんは最後のキスをした。
さようならのキスを。



「俺、一生お前のこと、好きでいる」
ちゃん!」



清純がドアを開いたときは、南は机につっぷしていて、私はただボーゼンとつったいていた。



「・・・・い、いま」



オレンジ色の髪の毛がゆれる。
息を切らして、まるで、十秒前の南くんみたいに、ものすごく息を切らせて。



「清純、南くん、振られちゃったって」



南くんは机につっぷしながら泣いていた。
あの日みたいに、私にフラれた日みたいに泣いていた。
清純は、え、と呟いて、私と南と、それからもうすっかり端によせられたカーテンを
見比べた。



「あ、ああ、そうなの?南、フられちゃったの?」



少し整理がついていないようで、清純はやけに瞬きの多い眼で私達を見据えた。



「私、帰ろうと思ったら、南くんがここにいてさ。
話を聞いてあげてたんだけど、南くん部活に出れそうにないから
清純にその事言いに行こうと思ったら、清純から来ちゃったよ」



そういって笑った。
そしたら清純は、「なんだ、そっか」とエヘへと笑い返してくれた。
さっきのは一個上の教室だったのかもしれない、と思った顔をしていた。
違うの。見間違いじゃないの。



「・・・千石、スマンな」



横で、未だにつっぷしてる南が呟いた。



「いや、いいよ。紹介したのは俺の勝手だし。またいい女紹介してやるから!
いくらでも!」



だから、元気だせ、と言われた南の顔はわかりやすいほど、複雑な顔をしていた。
違うんだ、千石。
意味が違うんだ。
そう言っているのを全身で感じながら、南くんは力なく笑った。










そこで、私はふ、と変身が解けてゆくのを感じた。
南くんの力ない笑顔で私も力も抜けていったのだ。
気がつくと、私はなんてことはない、家のリビングで、さっき見た南くんみたいに
机につっぷしていた。

ひょ、と近くにあったカバンから鏡を取った。頬に赤く机の跡が残っている。



「私、過去に戻ってたわけじゃないのね」



薄い期待が私を裂いた。
まぁ、あれが過去だったとしても、結局は前回の記憶どおりの台本しか
渡されてないのだから、よいセリフなんて何も浮かんではこないのだ。
考えているうちに、この数年間のようにあっという間に過ぎていって何も残らないのだ。
そうだ、何も。

私はもう一回鏡をのぞきこんで、頬の後をなぞった。



「俺、一生お前のこと、好きでいる」



そうね、誓ってくれたもんね一生好き。
清純も行ってくれたわ、一生守ってくれるって。
(あのころは、一生を誓えるって思ってた)


頬の赤い跡をなぞる。

何も残らないのだ。

誓いも一生も好きも。



(あのとき、南くんにからめられた私の)


(私の気持ち意外は)












(私はおもむろに立ち上がった。
そしてクローゼットを開ける。






「明日何着ていこうかな」














明日、南くんは結婚する。