7cmのヒールのカカトが金属を軽やかに蹴りつける。

ちゃちな電灯の光が浪々と鋼鉄の階段を照らし、私はそれを踏みにじる。
都内とは名ばかりの安っちいボロアパートが私の住み家だ。
そして

いよいよ7番目の階段に右足の影をつけた時、いつもの様にギンパツの犬が私の部屋のドアの寄りかかっているのが、遠目でも確認できた。








この犬の住み家でもある。






犬はガクランを上から下まで(それこそフックまで)きっちり閉め、紺のバーバリーを首に巻きつけ風を防ぐようにしっかりと顔を埋めている。
しゃがみこんでいるため、つんつるてんになっているズボンから具間見えるナイキのエア・フットスケープ2は、グラウンドに犯され土まみれ。
わざと8段目を強く踏み鳴らすと、犬は私に気づいたようだった。


姉ぇ」


星空に暖気の白い雲ができる。
輝きが瞳にやどり、エサと散歩が一気に訪れたような生気漂う表情が犬に浮かんだ。
まぁ、なんて可愛いの!
でも笑いは顔には出さないわ。私は大人の女よ。


「冥、また来たの?」


こう、迷惑そうな顔をしてみせるの。


「家にも帰らないで1時間もかかる一人暮しの従姉の家に入り浸り、これじゃ私が冥のおばさんに嫌味を言われるのよ。
だいたい今何時だと思ってるの?終電ももうないわよ。私が飲み会でそれに帰って帰って来たんだから」


「……」


ほらほら来たわ、この上目使い。
じっと私の顔色を伺う様に、請う様に、私を見つめてくるの。
いつもは183cmもある犬は私を見下げるだけだけど、こう、たまに出す上目使いの色気ははたまらなく愛しいわ。
寒そうに上下する犬の肩と同じで私の心も上から下へと大忙しよ。
でも、まだまだ駄目よ、こんなことで許したら示しがつかないわ。犬は躾が肝心なの。
ああ、なぁに、急にポケットから飴を出して。え?私にくれるの?うっそ初恋の味、レモン味?
って私を何歳だと思ってるの、花の20代よ。せめて5分は持ち堪えてみせるわ。
……そんな目で見ないで。
わかって頂戴、私は大人なのよ。世間体も常識もモラルだって求められるのよ。
通い夫(っていうのかしら?)・しかも親戚・高校生・深夜なんて押しちゃいけないボタンを全て押しちゃったようなもんじゃないの。
って今度は何を出したの、あらやだ初めてのキスの味、イチゴ味?

駄目だわ、もう限界。(ホント駄目ね!私)
5分とか言って、秒針が5回しか動かなかったわ!



溜息をついて鍵をさしこむ。
キーホルダーの鬼太郎も泣いているわ、情けないって。
暖気漂う開け放たれた扉に、犬はご主人様より速く飛びこむ。
そして随分と勝手知ったる様子でリビングのこたつに一目散に潜りこんだ。
私はミュールとおさらばして、部屋にバッグを放りこみ、そしてこたつの電源を入れてあげた。
タイマー設定で帰って来た頃には暖かくなっているようにしておいたけど、今日にはちょっと寒かったかもしれない。
それから洗面場にゆったりと余裕をもって優雅に歩き、ドアを閉めて、ああ忙しいわ!大慌てでスーツを脱ぎ捨てる。
洗濯籠から昨日着たヒスのトレーナーを引っ張り出し、棚を浅ってオーブの新色リップの封を切る。
美しく、かつ迅速に事を進めなきゃ!
ビューラーが私にカールを作ったのを確認して、今度もゆっくりとドアを開けた。
安いマンションだから音が響くのよ。男が来たからって、忙しそうにする女なんてみっともないったら。

木製のキイキイと五月蝿いドアを開けて、側にあったエアコンのリモコンで温度をあげると私もコタツに潜りこんだ。
狭いコタツの中で犬がめいっぱい伸ばした足が、私の膝数cm先にあるのを感じる。少し興奮するわ。
あら嫌だ、私ったら!
ちょうど小腹がすいて居たので置いてあった蜜柑に爪を入れる。甘酸っぱい匂いが弾け、一房口に含むと
酸っぱい味が広まった。



「冥、御飯は?」

「…食べた」

「コンビニ弁当でも買ったの?」



すると犬は小さく首を振って一言パン≠ニだけ答えた。
嗚呼嫌な予感がするわもしかしてパンはパンでも




「また食パンだけなの!?」



飽きれたわ熱血青春高校男児がこんな事でいいの!?いいえよくないわハードな練習だって聞いたわよ、
太陽の真下で有害紫外線を吸収しまくり、仲間との連携プレーで神経を削って(ただでさえ暗いのよこの子!
それなのに辰羅川君以外の子と仲良くなんてできるのかしら!?)
それなのに、食パンだけで一日過ごしたなんてなんて、なんて無謀なのかしら。
呆れて口からため息が飛出す。
すると犬は急に萎んだ風船になった。そして言い訳のつもりか一言、



「コーヒー牛乳も飲んだ」


「コーーーッッヒー牛乳なんて栄養の破片にだってなりゃしないわよ、だいたいそんな食べ物ばかりだったら、
いつ倒れるかわかんないでしょ 心配だったらありゃしない!
しかも練習はカンカン照りの日ばっかじゃないの!そんなに黒くなっちゃってあんた癌で死ぬわよ!
ああ、ああ、違ったわね、アンタはコーヒー牛乳ばっかり飲んでるせいでそんなに黒いんだわええそうよそうに決まってる!」



勢いにまかせて喋ってしまったわ、大人気ない?いいえ違うのよ、これは犬を心配するあまりの乙女ゴコロなのよ。
あまりにまくし立てて喋ったので、私は息が切れてしまったわ。
ちょっと深呼吸してから犬の様子を盗み見ると、しゅんとしておでこをコタツにピッタリとくっつけていた。
反省しているの?でも駄目よ、許せないわ。
心配で心配でたまらないでしょ。もうしないって約束するまでは許さないわよ。



「…だって」
「だってじゃないの」


許さないわよ。


「でも」
「でもじゃないの」


許さないからね!


「とりあえず」
「トリアエズはアンタの犬の名前でしょ」


許さないという確固たる意思を持って私は存在するわよ!


「しかし」
「何者ですかアンタは」


ことごとく言葉をはねっかえしてやったわ。
犬は叩きのめされたようで、更におでこをコタツにすりよせている。キュンキュンと声が聞こえてきそう。
観念して約束してしまいなさいな、ちゃんと食事をとるって。それまでは絶対許さないわよ。

















「……姉ぇの作った以外ものは食べたくないんだ」

許すわ。




「でもね、それじゃ近い将来死ぬわよ」


そう言って私は身を乗り出した。
犬の顔を覗きこもうと思ったのだけど、でも犬はただじっとコタツと睨めっこしている。


姉ぇが毎日飯をつくってくれればいい」

「冥がウチに入り浸りになったら、叔母さんが心配するでしょ」

「じゃあ、結婚すればいい」


犬の足が、私の膝に触れた。(確信犯ね?)
それに答えるように、私も曲げていた足を伸ばして犬の足に絡める。
すると犬はビクッとしてから、ゆっくりとおそるそる顔をあげた。
あら、この答えを待っていたんじゃないの?そうなんでしょ。
私も顔を凝視しながらもう一回、犬はわざとゆっくりと足で私をつついた。
ええ、ええ、いいわよ。
ここをアンタの小屋にしてあげる。
明日からは鍵を増やさないといけないわね。困ったわ、給料日前なのに。
でもなんとかなるでしょう。3日ほどパンとコーヒー牛乳で。







それでは、これから夜通し子供の数でも相談しましょうか。私はやっぱりオトコノコが一人欲しいわ。
ね、冥は何人欲しい?とりあえず今日で一人はできそうだけど。















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蒼谷さんとの相互リンク記念で「年上のイトコ」というリクでした♪
全然甘くもないし、なんかヒロイン変態っぽくて(言うな)申し訳ないですー!