「それでは、第14年度、卒業式を始めます」






桜もまだ咲いていない、3月1日。
高邁な晴天だけが俺達の、十二支高校の卒業式を祝ってくれていた。
今日は牛尾先輩と蛇神先輩にとって最後の高校生活の日。
部活の時にしかあまり会わないので、牛尾先輩のガクラン姿にちょっと違和感を覚える。
けれど胸に咲いた赤のカーネーションが、体育館の窓から差す光により色彩を増して栄えわたり
それが牛尾先輩の嬉しそうな表情と替わらず華やかなので、あまり気にならかった。
こうして見ると3年生はやはり大人だ。
1年しか違わないのに、先輩が自分の知らない誰かと言葉を交わしているのを見ると何故だかそう感じる。
急に年相応の顔に口調になってる先輩達は、初めて見る、大人の顔。
だから俺と猪里は、卒業式の始まる前に二人で用意した花束を渡しに行こうと思っていたのに、
教室のまん前でどうしようもなく突っ立っているしかなかった。
やがてチャイムがなって慌てて戻り、それで、今、卒業式が始まっているのだった。




会場のアナウンスと共に担任が引率する各クラスが入場する
部活で見かける人とか、電車で車両が一緒な奴、(こいつ3年だったんDa)、登校する時にいつも俺の前を歩いている奴、
人生的に交差もしなかった人もした人も、端に座っている俺のすぐ横を通っている。
俺はただ黙って下を向いていた。




「3年7組」




猪里は ほら、虎鉄!と肩を叩いてくれたけど、顔をあげられる事なんかできない。
絶対できない。
耳に多数のそろった足音と、視界に学年カラーの入った上履きがぞくぞくと横切っていく。
白い靴下が通りすぎる度、俺は目を固く瞑る事にした。

バコッ

急に頭を叩かれて顔をあげると、並びながら歩く女子の中に先輩の顔が見える。
口パクで 虎鉄ちゃん起きてなさーい と言いながら去っていく先輩。
胸のピンクのカーネーションが綺麗で、それでも、先輩の方が絶対綺麗な、
先輩。



「虎鉄、涙、拭きんと」
「泣いてねーYO」
「ほら、ハンカチ」
「泣いてねーってBa」
「ちょっと早すぎだっちゃね」
「…………別にいいだRo」



猪里のハンカチをひったくって、まぁ、ほんのちょびっっっとだけ目に溜まった涙を拭く。
なんだ、このハンカチ。
この変な豚くずれの猪の刺繍入りハンカチ。
なんでこの年になって動物の刺繍入りハンカチなんか貰わなきゃいけないんDa?



「虎鉄は持ってきてない?先輩がくれたハンカチ」
「あんなの恥ずかしくて持って歩けないZe」
「そうっちゃねぇ〜。この刺繍全然まったく似てないし」
「俺のなんか、虎と言うよりも凶暴な猫…………以下、Da」



うちらのお別れプレゼントよ! と、先輩が3年引退の時に野球部のマネでもないのに俺達にくれた
ハンカチは、お手製の動物刺繍入りハンカチだった。(全然似ていなくて、むしろこっちが恥ずかしい)
でも皆は喜んで受けとっていた。兎丸なとかはありがとう〜なんて言って引っ付いたりして、犬飼もなんだかんだ言って
けっこう大事にしまっていたし。
先輩は皆に好かれるいい人だった。



「でも、こんな奇想天外な物くれるなんて、さすが、先輩だっちゃね!」
「ああ…………牛尾先輩の彼女だしNa」






















いつも図書室の窓からグラウンドで練習する俺達を見下げる彼女は、と言って3年生の先輩だった。
薄桃色が大好きで、髪をくくる時は必ずその色、髪を切った時はピンを付けているほどで。
牛尾先輩の彼女と聞いていたから、どんな綺麗な人だろうと思ったら全然大した事なかったし、
すごい勉強ができるのかと思ったら、むしろ下の方だったりもするし、じゃあ部活で大会に出て金メダルを
とったのかというと、別にそんなことはないし。
でも、そんなところが良い先輩なんだ。
何もないから、野球に関しての事も、勉強に関しても、一生懸命向っているような感じで
いちいちくだらない事に感動して喜んだり泣いたり、時には怒ったりする先輩が、すっごく好きだ。
好きなんです。先輩の事が。







いつも猪里とセットの「牛尾のかわいい後輩」の俺は、なにかと気にかけてもらっていて
例えば、廊下ですれ違うと (俺は見ていないフリをする。だって声をかけても気づかれず通りすぎられたらって、思うと、怖い)
先輩は友達がいるのにわざわざ俺の後を追っかけて来て、 虎鉄ちゃーーーん!と、その独特の通る声で俺を呼びとめ、
バンダナをぐしゃぐしゃにしながら頭を撫でてくれる。
先輩の友達にあんたらどーゆう関係よ〜、って言われた時の先輩のお決まりの文句、俺、ずっと忘れません。







式典の間中俺は、ずっと他の3年生に埋もれて見えない先輩を見ていました。






例えば。
バレンタインの日に、マネージャーとは別に先輩が配ってくれたチョコレートはすごくおいしかったです。
牛尾先輩のチョコの残り物でつくったトリュフで、ホント、マジでチョコレートを固めただけの物だったけど、
他の誰から貰ったチョコより、断然うまかったです。
作っている時は牛尾先輩にあげる物だったから、愛ってのが、いっぱいつまってたからですか?
それから、先輩がくれたチョコの包み紙、まだ俺の机の引出しに大切にしまっています。







卒業式が何時の間にか終わって退場の時、俺達在校生は仰げば尊しを歌った。
その中をまた多くの3年生が流れていく。
今度はちゃんと真っ直ぐ前を向いていたけど、先輩は緊張しているみたいで俺の事は
忘れているみたいだった。






例えば。
先輩達と一緒に部活の帰りにアイスクリームを食べた時。
牛尾先輩の鼻についたストロベリーアイスを見て、アンパンマンみたいだって大笑いした後
俺達がいるのをすっかり忘れて、カップルよろしく口で舐めとってたの、は。



すげー、ショックでした。








.....................................







例年通り何事もなく終わった卒業式の後の送別会は、式典のその静粛さとは反対に妙に華々しかった。
皆が皆、好いていた先輩達に一晩考えあぐねたお祝いの言葉と、用意した花束を渡し門出を祝った。
特に俺達二年は、思い入れも深いものがあって最後まで泣きついている者も中にはいて、
泣いてしまう先輩も続出し、グラウンドはなんだか男だらけのむさくるしい漢泣大会会場にでも
なってしまったかのようにも見える。
俺はその集団から離れて、なんとなくボーッと空を見上げていた。



「虎鉄、先輩に会いに行かなくていいとよ?」
「……猪里Ka」
「まぁーったく、どこ見てると思えば図書室の窓見上げて。先輩は今日はあそこにおらんよ」



誤解すんなYo、ただ空を見上げてたんだ。図書室の窓はたまたまそこに有っただけって話。



「気になってんなら、教室に行ってみい?」
「いいYo、もう」
「先輩、大学行ったら一人暮しだけん、この街出て行くんよ?」
「そんな事、俺が一番よく知ってるっTe」



猪里にはいつの間にかなんとなく気づかれてしまっていて。
でも俺はそんなに態度にだした覚えはないんだけど。
それからまだ俺を説得させようとする猪里を置いて、俺は牛尾先輩に花束を渡しに行った。
いいんだよ。
俺がいいって言ってんだから。
もしも会いに行ったとして、いったい何を喋れって言うんDa?
まさか、告白しろっていうんじゃねーんだろNa?お前にしちゃ随分なブラックジョークだ。





どうにか監督が収集をつけて、その後で皆で先輩を校門まで送っていった。
正門前には、まだ昼間だったが帰るにしては少し遅くなってしまっていたので、人影はまばらだった。


「御門遅いよ〜!」


相変わらず通る声は、いつまでたっても本当に変わらない。
紫のセーラー服と真っ白の靴下。
指定バックに積め込まれた花束、今日もお気にリの薄桃の可愛いピンを差した髪。



「ごめんごめん、部活の送別を盛大にやってくれてね」
「まぁ、それはしょうがないけどさ…」
「じゃ、帰ろうか」
「うん」



そう言って足元のカバンを右手で拾い上げる。
それから落ちてきた横髪を左手ですくって後ろに払い、そして
しゃん、と立った先輩は真っ直ぐ俺達野球部員を見据えて、にこっと笑って言った。


「みんな!思い出をありがとう!!」


目を細めて大腕を振って、とても今日でお別れだとは思えなかった。
また明日、部活の朝練でひょこっとやって来て「御門いる?」って聞いてきそうで、
また明日、いつもの窓から練習を見ていそうな。
そんな先輩が、ちょっと心持右側が下がった靴下と共に校門から出て見えなくなっていくのを
俺はボーッとして見ていた。









他の部員もしばらく、ただつったっていた。










「…………うわっ」


突然、突風が吹いた。
春一番の無色の風。
なんの準備もなしの風は、軽がるしく叩くように俺達をなでつけ、視界を思わず瞼で覆い尽くさせる。
グラウンドの砂が頬に当たる感覚と、何かが張りついた感触。
そっと目を開けて摘んでみれば、それは小さな花弁だった。
誰かの花束のか、あるいは胸のカーネーションか。
わからないけど、俺は、


「虎鉄」


何時の間にか俺の隣に立っていた猪里は、さっきの風でクセ毛の髪があっちこっちに散らばっていた。
よく、先輩が直してくれていた猪里の髪。
それに、よく先輩が貼りなおしてくれていたバンドエイド。



「猪里、」
「………………」
「これ、な。この花弁の色」



どこかで鳥の鳴く声がした。



「先輩がくれたチョコの包み紙と同じ、薄桃色なんDa」





「…………行ってきぃ!!」



バン と背中を押されて、俺は走った。



















................................................


「あっ虎鉄が先輩たちに会いに行ったぞ!」
「追いかけろー!」
「俺達も見送りしに行こうぜ!!!」


「やめと!」


「な…なんだ、猪里、止めんなよ」


「今から校門出た奴は、俺が、ぶん殴ってやるっちゃね!!」


..................................................










校門を飛出してから駅に続く道をひたすら走った。
走って、あのアイス屋があったところも、走って、一緒に外に出たボール集めを手伝ってくれたところも、
走って、先輩が連打でへこましてボタンが押せなくなった黄色の信号変換器も、走って、
小さい雑草をかわいいって摘んでいたところも、走って、走り去って、
それで、やっと長い下り坂道の真ん中を行く先輩と牛尾先輩を見つけた。




先輩っ!」




息と力が急速に抜けて足が縺れそうになって、それでもなんとか転ばずに先輩の前まで行くと、
先輩は随分驚いたみたいで、え?え?なんか忘れ物したかな? と俺をまじまじと見つめていた。



「なに?虎鉄ちゃん?ね、なんだろ御門」
「……、ちょっと先の自動販売機でジュース買ってくるから」
「え?…あ、うん、わかった」



…牛尾先輩ありがとうございます。
背中に無言でお礼を言う。
それから息を整えて、脱げかけていたガクランをもう一度はおり直す。


「…………先輩」
「ん?」


今日のために薄化粧した顔は、なんだかとても正視できなくて。


「…なんか、大人っぽくなりましたね」
「そうかなぁ?…あ、それって老けてるって暗に言ってる!?」
「いえ、そんな事言ってるわけじゃないですよ」
「ふーん…っていうか、虎鉄ちゃん、卒業式泣いた?」
「まさか!泣きませんよ。自分の卒業式でもないのに」
「うわっひどい!」


私は皆とお別れするの名残惜しいのに〜、っと先輩は手を顔に添えてヘタクソな泣き真似をした。
俺は笑って内ポケットからハンカチを取り出す。


「どーぞ。先輩」
「うむ。……って虎鉄ちゃん、もって来てくれてたんだ」
「まぁ、たまたま入ってたんですけどね」



ずっと入れてました。
あの日、つたない刺繍を見分けながら俺に手渡してくれたあの日から、ずっと。



「もぉ、虎鉄ちゃんは…」


そう言って、俺のハンカチの虎の刺繍を懐かしそうに何回も何回も確かめるようになぞった。
綺麗な指先。ピンクの薄いマニュキア。何もかもが卒業にふさわしい桜の色なのに
春の片鱗を感じさせるのは、この陽のあたる坂道だけ。
先輩は指を止め、それから少し難しい顔で言った。


「虎ってこんな模様だったっけ?」
「完全に違うと思いますよ」
「あ、やっぱ?でもあの時どんな感じかわかんなくてさぁ…」
「じゃあ…コレあげます」


堅く結んだ端を解いて、自分の頭に二年間離さなかったバンダナを差し出す。
これがなかったら、先輩が俺の事見つけられないと思ってずっとつけていたんです。
でも、もう必要ない。


「これ見て、ちゃんと虎柄の刺繍できるようになってください」
「いいの?もらっちゃって」
「もう、ぐちゃぐちゃにしてくれる人いませんから」
「言ったな〜!」


初めてされた時のように、先輩は長い間髪の毛をめちゃめちゃにかきまわして、
それから、温かい太陽の臭いのするおでこをくっつけてくれた。
しばらくそうしていて欲しかったけど、後ろから牛尾先輩が先輩をこの世界からから引き返させる声が聞こえる。
はーい!とすがすがしい返事で返して、じゃね、虎鉄ちゃん。 という。
まるで簡潔で、そっけない。
そのまま走っていってしまうかと思って引き止めようと思ったけど、その必要はなく
ニ・三歩歩いて先輩は踏み止まった。





「虎鉄ちゃん、私の事大人っぽいっていってたけど、それって結構当たってるかも。
私さ、大学も別に行きたいって言うよりどこでもよかったし、将来だって特に夢もないし。
だからどんどん冷めていって、大人っぽくなったのかな。
昔みたいに宝物とか、そういう目に見えたり見えなかったりする大切なもの、もうほとんどなくなっちゃったし」


自分のつま先を見据えて、その、先が丸まったローファーでトントンと足を鳴らす。
大事な物を置き忘れて拗ねている、大人の仕種。
なんだか寂しくなって、俺はきらきら光る宝物のようなガクランの金ボタンを引き千切って差し出した。


「ボタンは好きな子にあげるものだって。凪にあげなよ。」
「俺が………わざわざ好きな子にあげないで、先輩にあげるんだからそうとうレアですよ?」
「それはレアだねー!大事な…………………宝物にしておくよ」


先輩は笑ってるみたいだった。
握らせたボタンを、手の平でコロコロと転がして、そっか、宝物か、と呟く。


そんなの、嘘に決まってるじゃないですか。
凪に言いよってたのは、あなたをだますために決まってるじゃないですか。
ホラ、やっぱりアナタは子供です。
安心してください。いつまでも春のように先輩は暖かいから。





桜の花弁がが刻まれているボタンを見て、先輩はまた呟いた。

「桜咲いてないねぇ。せめて燕ぐらい飛んだっていいのに。春にくるなら今来てもいいと思わない?」

俺は答えなかった。








そして今度こそ、先輩は行ってしまった。


坂道を駆け下りる先輩の背中は、それこそボタンのように小さくなっていって。
俺は校門で見送った時みたいに、またボーッとして突っ立っているしかなかった。
なにも言えない俺。突然の風はもう吹かない。



鳥の鳴き声が聞こえた。
そして、また猪里が背を叩いた気がした。







俺は叫んだ。



「先輩!!!!!!!!!!
宝物大事にして下さい!!」



Yシャツのボタンぐらいに小さくなった先輩は振りかえって叫んだ。


「わかってるーー!
ねぇ、じゃあ、虎鉄ちゃんの宝物はー?」










「野球部の皆と」

好きです。


「刺繍がヘタな、先輩が」


好きです。


「俺の」


好きです。






「大事な宝物です!!!」


好きです。
先輩が、好きです。















いつも猪里とセットの「牛尾のかわいい後輩」の俺は、なにかと気にかけてもらっていて
例えば、廊下ですれ違うと (俺は見ていないフリをする。だって声をかけても気づかれず通りすぎられたらって、思うと、怖い)
先輩は友達がいるのにわざわざ俺の後を追っかけて来て、 虎鉄ちゃーーーん!と、その独特の通る声で俺を呼びとめ、
バンダナをぐしゃぐしゃにしながら頭を撫でてくれる。
先輩の友達にあんたらどーゆう関係よ〜、って言われた時の先輩のお決まりの文句、俺、ずっと忘れません。



「これ、私のツバメだから!」






先輩、燕が春にくるのは、先輩の大好きな薄桃色を見にくるからなんです。
桜の薄桃色を見に来るからなんです。




ほら、さっきから鳴いている鳥、燕ですよ。
もうすぐこの街にも、春が来ます。






<<<アトガキ