彼女は
入口で待っていた俺を見て酷く驚いたようだった。





















短く飲まれた息。
小さく揺れた髪。
右足だけ下がった靴下。














俺はこんなにも憶えている。
























ありがとうをあげたい。

































とは中学2年の時に同じクラスになった。
彼女は友達がクラスにいるようで、無理矢理委員長に推薦されていて不平をあげながらも
「これから1年間よろしくお願いします」と緊張しながらも、はにかんで、確かにそう言っていた。



その時俺は電池が切れたMDプレーヤーをもてあまして、何をするわけでもなく黒板のあたりを見つめていたと思う。
(君以外は霞んでいたと言いたいけれど、ホントのところ、憶えてないんだ。)












俺の青い髪は当然校則違反だったし、サングラスとMDプレーヤーもそれと同様だった。











クラスの掲示板に貼る自己紹介の紙が配られた。
俺は期限前日に似顔絵の欄に苦戦しながらも書いた紙を提出した。
(似顔絵は結局描いてない)
当時掲示板係りだった俺は、放課後一人で昨日ラジオから落したばかりの曲を聞きながら、黙々と画鋲と壁と紙とをキスさせていた。
この作業を早く終わらせて部活にでたいわけでもなく、
(今と違って草野球の延長戦のつもりだった)(無口のおかげであまりかまわれなかった)
(つまりはどうでもよかった)
俺は窓辺から差しこむ夕暮れの3色のグラデーションに黒い髪を映して楽しんでいた。
誰もいない廊下はいつもの喧騒がないだけでひどくもの悲しく、そして神聖だった。
緑色をしたタイルは消えた蛍光灯のかわりに日を反射して、揺らいだ光は床を流れて足元に漂う。
手元の紙が千変万化に染まり、静寂な空間に響く音楽は有為転変を歌い、そのささやかな一致に俺は浸っていた。
だからきっと俺は、この到底女子とは思えないほどのこの字に、こんなにも驚かされて、体が熱くなった。















好きなもの       葵














きっと兎丸が見たら3Mぐらい飛ぶかもしれない。
不意打ちだったけど、照れで焦ったりドギマギする俺って見せた事ないから。
(ああ、そしてこれから一生見られない)
新手の告白だ、と思った。
何度も何度もその文字とその女子の名前を目線がさ迷う。

2-6



と欄をはみだす勢いで0.3の青いハイブリッドでしたためてあった。
記憶に該当者なし。
クラスも初めて同じになったし、小学校も違う。
でもどこかで聞いたことあったかもしれない、なんて急に思いこんだりした。
(俺は彼女の事なんてこれっぽっちも知りはしなかった。
それこそ0.3ミリも)

どんな娘だったか。どうやって断わろう。掲示板に貼った後どうするつもりだったのか。どんな娘だったか。席が隣だったか。
どんな娘だったか。
しかし何10回と行きさまよった視線は、そこでようやく見落した漢字を1つ、拾い上げることになる。










好きなもの       葵色








                      
どっと汗と過失と疲れと増して、自分の恣意によって少女の感情を汚した思いが慙愧させた。
MDのボリュームを上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
さらに上げた。
喧騒とざわめきであふれていた廊下に戻して、この考えごと巻き戻してしまいたい。
今、この瞬間、夕日なのががせめてもの救いだった。
耳まで昂揚しているのを、柔らかく日の所為だと否定できるんだ。
こっちを一心に見つめている、君の似顔絵に。

















その日、帰りにコンビニで青色のヘアカラーを買った。
(そうだよ喋った事ないのに好きだなんて思えるか。
嗚呼、でも俺は
気になってしまうよ)



次の日から俺はよく先生に呼び出されるようになった。
けれど何も言わないで黙って何度も頷くと、大抵の先生は許してくれた。
もしかしたら頭がおかしいと諦められていたのかもしれないけど、俺はその勘違いの状態を甘んじて享受した。



















そうして俺はなんとなく彼女と自分が繋がっているような気を、気分がよいとまで思える人間になってしまったのです。
それはとてもささいな事であって、その証拠には1回も俺の名を呼んでくれた事がないのです。











ああ、あの時と反対に東雲の空が、同じように静かに俺に紺青を映しだす。